キャプテン


クアトロガッツは、今回の地震の震源地付近大阪北部の茨木市にあります。

やっとこさ、復旧作業が終わりました☆(少し長文になります。)

私は高校1年生の時に阪神淡路大震災を経験しましたが、それ以来の大きな揺れ。
幸い、昨日は、奇跡的に全員休み、イベント出店も奇跡的になく、家族も無事、スタッフもスタッフの家族も無事でございます。
友人、お客様、お取引先様、多方面からご心配の連絡をいただいておりますが、僕たちは大丈夫です!!

秘密基地(会社)の被害状況は、
第1基地(メイン基地)1Fは窓の破損、壁の破損、表の壁の破損。
ミシンや機材関係は無事。
2Fは、PC4台中3台が倒れているもすべて無事。
ハードディスク破損、在庫、書籍など氾濫。
3F在庫氾濫、備品氾濫。
第2基地(ほぼ倉庫)1F無事。
2F段ボールなど散乱。
第3基地1F無事。2F無事。3F備品など散乱。
でございました。

やはり、1Fよりも2F3Fの方がモノが散乱している状態でした。

ど根性ひまわりとの出会い

今回、茨木市が被災しましたが、僕たちは、東日本大震災の翌年から、自分たちにできる支援活動として、毎年3月に、被災した子供のための教育基金になる仙台育英会への寄付活動を行っております。

支援活動をする中で、多くのことを学ばせていただきました。
それが、今回自身の冷静な対応につながったと思っています。

そして、今年から、永続的に続けられる支援活動として、【ど根性ひまわり】というひまわりの種を400人以上の方にお送りしました。

【ど根性ひまわり】とは、2011年5月、被災地・宮城県石巻市の荒れ果てた地に立つ「がんばろう!石巻」の看板のたもとに、塩害も免れ芽を出した奇跡のひまわり。
頑張ろう石巻の看板、この看板を制作したのは、同市に住む、黒澤健一さんという方。
2009年11月に配管業で独立を果たし、自宅仕事場を新築された。1年4か月後の3月11日に被災に合われた方です。

少し長いですが、記事を抜粋します

被災地に燦然と輝く「がんばろう石巻」

これを制作したのは同市に住む黒澤健一さん(40)

この場所は、自宅兼仕事場だった店舗が
津波の被害にあい、完全に流されてしまった跡だったのだ
一時は茫然自失の日々だったが、同じ被災者ながらも
避難所で懸命に皆のために奔走する仲間に発奮
「自分にも何かできることはないか」と考え思いつき
廃材などを使い、友人と共に5日かけて完成したという


 
記事では「このボードは私だけでなく
手伝ってくれた友人たちの津波に対する
ファイティングポーズ。これからも
負けないことの表れだ」とのコメントが載り
「このボードを見てくれた人が
少しでも元気を出してくれたら」

ここまでは記事で知ったことだが
驚いたことに、この黒澤さんの奥方の親友と
ウチのカミサンの親友が、ある友達を通して繋がったのだ!
奥方の親友が黒澤さんの体験を友達に語り
その友達がカミサンの親友に語ったのを
カミサンが聞き、それを僕に教えてくれた
凄い体験の中身はこうだ

黒澤さんは、石巻市で配管業を営み
店舗ではシステムキッチンなども販売
不景気ながらも仕事は順調に進んでいた
そして、3月11日の午後…
彼は津波に呑みこまれ流された
一本の松の木が見えた
彼はそれにしがみついた
激しい流れに必死に抵抗していると
助けを叫びながら男性が流れてきた
その男性を助ける体力的余裕はないはずが
無意識に男性の襟首あたりを掴んでいた
その男性と共に木にしがみつき
励ましあいながら雪の振る寒い夜を過ごした

やがて、白々と夜が明けるころ
ようやく水位が下がり始める
町は消え、瓦礫の荒野と化していた
彼は津波の際に逸れてしまった妻を捜した
妻の名前を何度も叫び続けた
その声を、マスコミのヘリが掻き消した
悔しくてヘリに向かって怒鳴った
「何してる!声が届かないべ!
あっちへ行け!」
涙が溢れた。そして大声で泣いた
途方に暮れ歩き続けていると
奇跡的に助かった妻と対面した
全身の力が抜けた

避難所での生活を余儀なくされた
誠実に仕事に励み、その成果で
立てた住居兼店舗も消えた
全てを無くした虚脱感が襲う
そんな時、被災した友人たちが
悲しみを堪え懸命に皆のために働く姿を見る
心が熱くなった「まだまだ負けねぇ」

被災から10日後、自宅跡を歩いていると
瓦礫の隙間に見慣れた道具箱が見えた
「あっ!」思わず声を出した
蓋を開けると、ドリルなどの道具があった
希望という宝物を見つけたように思った
彼は奮起した。そして看板を作ることを思いつく
二人の友人と共に、彼は自宅跡の基礎に
ドリルで穴を開け、看板の板を固定した
通りがかりの人が、少し呆れたように見て去った
三人は黙々と作業し、5日後、遂に看板が完成した

三人でしみじみと看板を見ていると
同じように後ろで被災者が見ていた
声を絞り出すように被災者は言った
「生なきゃ…ね」
看板を作った甲斐があった
その後、黒澤さんは仕事を再開しようと
6時間も銀行に並び通帳を再発行
今までの仕事ぶりを見ていた仕入先が
「材料費は出来たときでいい」と
材料を搬入してくれた
銀行も「看板に励まされた」と
融資をしてくれることになった

被災地では、水廻り修理の要望が多く
ボイラーの点検なども加わり多忙を極めた
だが、被災者は金銭的に困窮している
工事費は「復興後」に貰うしかない
仕事をするたびに赤字が増える
気持ちが落ち込みそうになる
だが、自分が作った看板を見て再び奮起した
「がんばろう!石巻」
「そうだ。俺は頑張るんだ
復興するまで俺は絶対に諦めない
皆のため、そして自分のため」と
彼は早朝から市内を駆け回る
こういった黄金の庶民が実際にいるのだ
尊敬と感謝とで平伏し合掌する思いだ

ここまでが、記事の抜粋です。

ど根性ひまわりについて調べていた時に見つけました。

のちの自然災害への警鐘として

その夏に看板の周りに育ち開花しはじめた一本のひまわり。
津波によりどこからか流れ着き、津波にも塩害にも負けず咲くそのたくましい姿。
勇気をもらった人たちはそのひまわりを「ど根性ひまわり」と呼ぶことにしました。

その夏の終わりに採れた150個の種は2世3世と生命をつなぎながら、
2017年には7世の花が咲きました。

毎年春に「がんばろう石巻の会」より無料で配布され北海道から沖縄、
さらには海を越えて大勢の方に育てられています。

震災を忘れないために。
またのちの自然災害への警鐘として
未来の子供たちに伝えていきたいという願いを込めて。

僕たちクアトロガッツ一同は、ど根性ひまわり7世をお分けしていただき、ひまわりの花を育てはじめました。

頑張ろう石巻会 公式サイトには以下のように紹介されています。

『ど根性ひまわりへの思い』

ど根性ひまわりの使命は未来の
自然災害で犠牲者を出さないことです。

ど根性ひまわりに勇気をもらった一人として
育てて頂くことに感謝いたします。

このど根性ひまわりが次の世代につながり、
50世100世になった時
その種を育てた未来の子供たちが
東日本大震災のこと自然災害のことを話すきっかけとなり、
今後来るであろう大規模な自然災害への警鐘になれば幸いです。
力つよく育つこと楽しみにしています。

被災地の方々から教えていただいたこと

阪神大震災、東日本大震災、鳥取の震災、熊本の大震災、僕たちは、多くのことを、被災者の方々、被災地の方々から教えていただいた。

ど根性ひまわりの使命は未来の自然災害で犠牲者を出さないことです。

今回、自分たちの町が、震源地になった大きな地震。まだ、余震もあるので、気を抜くことはできません。
頑張ろう石巻の看板を制作した黒澤さんは、被災当時40歳。今の僕と同じ年です。
この記事を読んだ時に、果たして僕は、黒澤さんのように動けるのだろうか??そんな勇気あるだろうか??そんな風に思いました。でも、そんな人に僕もなりたい!!とも。。。

自衛隊の皆様や、行政の方々の力に期待するばかりではなく、1人1人が、震災後の行動を強く意識し、行動していく中で被害を最小にすることができると信じています。
まずは、その一人に自分がなる。

先ほども、スタッフとのミーティングで、ガッツの基地の周りにはお年寄りが多いので、大きな揺れがあった時の救助方法、待ち合わせ方法、連携方法などを徹底しようと話し合いました。

長々と書き綴ってしまいましたが、僕たちは、元気です!!
まだ余震で大きい揺れが来る可能性があるという話も聞きますので、油断はできませんが、細心の注意で、最高の行動で、ど根性ひまわり魂で頑張ります!

頑張ろう石巻の会

大阪北部地震によるWEBSHOPの発送の遅延のお知らせとお詫び